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札幌地方裁判所 平成6年(モ)725号 決定 1994年7月08日

債権者

株式会社アートネイチャー北海道

債務者

株式会社エーアンドネイチャー

主文

一  債権者と債務者間の当裁判所平成五年ヨ第七九六号標章使用禁止等仮処分命令申立事件について、当裁判所が平成六年二月二三日にした仮処分決定中主文二及び三項の各五行目に「右目録を利用して」とあるを「右目録に記載されている情報を利用して」と各訂正するほかこれを認可する。

二  訴訟費用は債務者の負担とする。

理由

第一当事者の求める裁判

一  債権者

1  債権者と債務者間の当裁判所平成五年ヨ第七九六号標章使用禁止等仮処分命令申立事件について、当裁判所が平成六年二月二三日にした仮処分決定を認可する。

2  訴訟費用は債務者の負担とする。

二  債務者

1  債権者と債務者間の当裁判所平成五年ヨ第七九六号標章使用禁止等仮処分命令申立事件について、当裁判所が平成六年二月二三日にした仮処分決定を取り消す。

2  債権者の本件仮処分命令の申立てを却下する。

3  訴訟費用は債権者の負担とする。

第二事案の概要

本件は、元債権者会社の従業員らが、債権者と同様カツラその他毛髪に関する製品の販売等の事業を行う債務者会社を設立し、営業を行っているところ、①債務者の営業表示である標章が債権者のそれと誤認混同を引き起こし、債権者に営業上の利益侵害を与えているとして、不正競争防止法一条一項二号に基づく債務者標章の使用の差止めと、②債務者会社の取締役及び従業員がかって債権者会社に在職中債権者の顧客情報を開示されたにもかかわらず、これを不正競業等の不正図利目的及び債権者加害目的をもって自らの営業活動のために使用し、債権者の営業上の利益を侵害しているとして、同法一条三項四ないし六号に基づく顧客情報を利用してのこれら顧客との取引及び接触等の停止及び予防を求めた事案である。

第三疎明資料によって明らかに認められる事実

なお、以下の2(債権者の営業表示)及び4(債権者保有の顧客情報)の事実を除き、当事者間に争いがない。

1  (当事者)

債権者は、昭和四三年、東京に本店を置く株式会社アートネイチャーの北海道本部として営業を開始し、平成二年一〇月一一日、同本部の営業を引き継いで設立された株式会社であり、北海道内において、カツラその他の毛髪に関する製品の販売、及び、増毛法、育毛法、カツラ利用者に対する理容・美容等の役務提供の事業を営んでいる。

債務者は、平成五年六月一七日に設立された株式会社であり、同年八月一日から、本店所在地の店舗(以下「債務者店舗」という。)において、別紙物件目録一記載の標章(以下「本件標章」という。)を営業表示として使用して、カツラその他の毛髪に関する製品の販売事業、及び、増毛法の実施、育毛法の実施、カツラ利用者に対する理容・美容等の役務提供の事業を営んでいる。

債務者を設立し運営している役員及び従業員は、A、B、C、D、E、F及びGの七名(以下「債務者関係者七名」という。)であり、現在、Aは代表取締役として、B、D、E及びFは取締役として、Cは監査役として、Gは従業員として、それぞれ債務者店舗において勤務している。

債務者関係者七名は、いずれもかって債権者に在職し、A及びDは本店営業主任、Cは帯広支店長代理、Eは本店技術係長、Bは本店技術主任、F及びGは一般技術職員としてそれぞれ勤務していたが、Cは平成三年一〇月に、A及びBはいずれも平成五年五月一五日にそれぞれ自己都合退職し、D、E、F及びGは、平成五年七月末ころ、債権者に在職中にもかかわらず債務者の会社設立に関与していた事実が発覚したことにより、債権者から懲戒解雇されたものである。

2  (債権者の営業表示)

株式会社アートネイチャーは、昭和四三年、札幌市内に営業所を開設し、北海道における営業を開始したが、その営業開始以来、「アートネイチャー」の名称を使用するとともに、別紙物件目録二の(一)及び(二)記載の各標章(以下「債権者標章」という。)を営業表示として使用してきた。その後、株式会社アートネイチャーは、平成二年一〇月一一日、地元資本との共同出資により債権者会社を設立したうえで、債権者と「特約店契約」を締結した。右特約店契約において、債権者は、株式会社アートネイチャーから、当初は、総入金の一〇パーセント、平成四年以降は総入金の一二パーセントの特約料の支払を対価として、北海道内におけるアートネイチャー製品販売及び役務提供の独占的営業権を譲り受けた。ここで、債権者に譲渡された独占的営業権には、債権者が北海道内において、商号の一部として「アートネイチャー」の名称を使用すること、債権者標章を商標及び営業表示として使用すること、株式会社アートネイチャー又はその関連会社が有する特許権を実施することが含まれている。そして、これ以来、債権者は、商号の一部として「アートネイチャー」の名称を使用するとともに、北海道において、アートネイチャーの製品及び役務を独占的に販売・提供し、その営業活動において、債権者標章を使用している。

そして、債権者標章は、債権者の長年の営業活動及び宣伝広告活動の成果として、債権者の独占的営業地域たる北海道において、債権者の営業表示として著名なものとなっている。

3  (債務者の営業表示とその使用)

債務者は、平成五年八月一日から、債務者店舗において、営業を行っているが、その営業を示す表示として本件標章を使用している。

(1)  債務者会社の店舗の窓ガラス、入居しているビル一階の郵便受け及び入居表示板には、本件標章が使用されている。

(2)  債務者は、「日刊スポーツ」等の新聞に広告を多数回にわたり掲載しているが、その広告においても、本件標章が債務者の営業表示として示されている。

(3)  平成五年七月以来、債権者の顧客に対し、債務者から大量のダイレクトメールが郵送されており、その開業挨拶状、チラシ、店舗案内図、名刺等にも本件標章が記載されている。

(4)  債務者会社の契約書フォーム、領収書等にも本件標章が印刷されている。

4  (債権者保有の顧客情報)

債権者は、昭和四三年に株式会社アートネイチャーの北海道本部として営業を開始して以来、多大な費用と労力と時間を費やして積極的な広告宣伝活動を進めるとともに、一般消費者からの電話、葉書、直接訪問等による無料毛髪診断に応じるなど、各種の顧客開拓活動を行ってきた。債権者は、その成果として、現在までに、北海道全域で約一万七四四〇名の契約顧客を有し、さらにその倍数の相談客を把握している。

債権者は、これら契約顧客及び相談客の氏名、電話番号、勤務先、契約内容、来店状況、代金支払状況等の営業上有用な情報を、次の方法で収集整理し、保有している。

5  (債権者における顧客情報の収集と記録)

債権者が保有する顧客情報には、債権者が販売促進のために実施している無料の電話・葉書・直接訪問等による毛髪相談に応募してきた者(以下「相談客」という。)に関する情報と、実際に債権者の製品又は役務を契約した者(以下「契約顧客」といい、相談客と合わせて「顧客」という。)に関する情報がある(以下「顧客情報」という。)。これら顧客情報は、債権者において、次のように組織的に収集され、各種記録媒体に記録され、整理保管されていた。

(1)  「問い合わせ帳」の作成

債権者は、販売促進活動の一環として、一般消費者からの毛髪に関する相談に無料で応じており、これを新聞広告、雑誌広告、テレビ・コマーシャルなどを通じて広く宣伝している。

このような無料毛髪相談は、一般消費者からの電話、葉書、直接訪問等の方法によって債権者に申し込まれ、債権者の営業部門の職員が受付を担当する。電話による相談の場合、営業職員は、相談者の氏名、住所、電話番号、職業などの情報を聞き取り、これを営業課事務室に置かれている債権者会社の所定のメモ用紙またはその他一般のメモ用紙に書き留める(以下このメモを「電話聞き取りメモ」という。)。

葉書による相談の場合は、相談客が葉書に自己の氏名、住所等の情報を記載して送付してくる。

こうした電話聞き取りメモに書き留められた相談客情報や葉書に記載されている相談客情報は、営業職員により、受付順に、営業事務室に置かれている相談者の受付台帳に書き写される。この台帳は、債権者内では「問い合わせ帳」「台帳」などと呼ばれ、素材としては普通の大学ノートが利用されている。

(2)  営業カウンセラーによる「顧客ノート」の作成

「問い合わせ帳」に記載された相談客は、その記載順に、債権者の営業職員(カウンセラー)に順次割り振られる。担当のカウンセラーの名前は、「問い合わせ帳」の各相談者の欄の左端に記入される。

カウンセラーは、相談客に対する契約勧誘活動を行うために、電話聞き取りメモ、相談葉書、「問い合わせ帳」などから、各自が担当する相談客の氏名、住所、電話番号などの情報を各カウンセラー専用のノートに書き写す。このノートは、債権者会社内では「顧客ノート」と呼ばれ、素材としては普通の大学ノート又は市販の顧客リスト用ノートが利用されている。

(3)  相談客情報のコンピュータ入力

カウンセラーは、相談客に電話連絡や直接訪問などの何らかの営業活動を行った後、すみやかに営業活動の報告書を作成し、会社に提出する。この報告書には、「反響・問合せ・相談・活動・記入用紙」という表題の債権者会社所定の用紙が使用される。(以下「反響問合せ記入用紙」という。)。この用紙には、相談客の氏名、住所、電話番号、勤務先等の情報と担当カウンセラー名が記入される。

会社に提出された「反響問合せ記入用紙」は、債権者のH社長、I統括部長らが目を通した後、コンピュータの相談客情報データベースに入力される。このとき、各相談客に関する情報とともに、担当カウンセラー名も用紙からデータベース入力されるので、特定のカウンセラーが担当した相談客のみをデータベースから容易に検索することができる。

(4)  「注文申込書」及び「カルテ」にもとづく契約顧客情報のコンピュータ入力

カウンセラーは、契約が成立すると顧客との契約書を作成する。この契約書は、債権者所定の「注文申込書」と表題のあるフォームを利用し、カウンセラーが必要事項を記入したうえ、顧客から押印を受ける。

また、債権者の技術職員も、定期的にメンテナンス業務を行う中で、新製品や追加品の契約(「スペア契約」)の勧誘を行うが、これによって契約が成立した場合には、契約を担当した技術職員によって「注文申込書」が作成され、その情報がコンピュータ入力される。

この「注文申込書」フォームは三枚綴りとなっており、二枚目は営業課のファイルに綴られて保管され、三枚目は顧客に渡されるが、一枚目は、I統括部長に送られ、そこに記載されている顧客の氏名、住所、電話番号、勤務先、商品名、個数、金額、支払方法等の記載事項が、すべてコンピュータの顧客情報データベースに入力される。このとき、契約担当職員の氏名も注文申込書に記載されており、同時にコンピュータに入力され、担当者別の顧客検索が可能となっている。

また、顧客との契約を担当したカウンセラー及び技術職員は、契約時に「カルテ」を作成する。この「カルテ」は、二枚複写式の所定フォームが使用され、顧客の氏名、住所、電話番号、勤務先、商品名などの契約書記載事項のほかに、さらに詳しくヘアースタイル、構造、毛量、毛の濃薄などの契約内容が記入される。

「カルテ」の一枚目は、I統括部長に送られ、詳しい契約内容が顧客情報データベースに入力される。二枚目は技術職員用のカルテとして技術部門に送られ、専用戸棚に保管される。技術職員が、顧客に対して製品を装着したとき、及びその後の定期的なメンテナンス業務を行ったときには、専用戸棚に保管されている「カルテ」に、担当者名とその日の作業内容等を記入する。

また、カウンセラー及び技術職員は、カツラ販売契約を担当した場合には、カツラの製作発注のため、製品の詳細事項を記載した「仕様書」を作成する。ただし「仕様書」は、コンピュータ入力には用いられない。

(5)  技術売上伝票に基づく顧客情報のコンピュータ入力

債権者の技術職員は、「カルテ」に記載された住所などの情報に基づいて顧客に連絡をとり、来店日を決めたうえで、商品を顧客に装着する。その後、顧客は、定期的に債権者の店舗を訪れて、技術職員から、整髪、カツラ修正などのメンテナンス(カツラ販売の場合)又は増毛法・育毛法の実施(増毛・育毛の役務提供の場合)などのサービスの提供を受ける。このとき、通常は顧客の指名により担当の技術職員が決まっている。技術職員は、顧客に理容サービスを提供したとき、カツラ装着用品、専用シャンプーなどの製品の販売をしたときは、会社所定の「売上伝票」に販売内容を記入する。ここには、来店日、金額などとともに、担当の技術職員名が記入される。また、当該顧客がその技術職員の指名客である場合は、売上伝票の「備考」欄に「c」という記号を記載することになっている。この売上伝票も会社に提出され、コンピュータ顧客情報データベースの各顧客の部分に追加入力される。このとき、「c」の記号があるときは、技術職員の氏名がその顧客の担当技術者として入力される。したがって、各技術職員ごとに、その担当顧客を容易に検索することができる。

(6)  コンピュータ顧客データベース導入前の顧客情報の入力

債権者がコンピュータ顧客情報管理システムを導入したのは、平成三年一〇月ころである。当時、債権者には、それ以前の契約顧客の契約書、ローン申込書、仕様書などの契約書類一式が、各顧客別にファイルされて保管されていた。これらの資料に記載されている情報は、すべて、コンピュータ導入時に入力され、現在の債権者の顧客データベースの一部をなしている。

6  (債権者の顧客情報の秘密管理)

(1)  顧客名簿の管理

債権者の顧客情報データベースをプリントアウトした名簿は、業務上の必要があるときのみ、管理責任者のI統括部長が作成していた。こうして作成された名簿は、I統括部長が使用責任者に手渡し、業務目的のためにのみ使用すること、作業終了時には結果を報告することなどを指示していた。

(2)  「顧客ノート」の管理

債権者は、従業員に対し、各自の「顧客ノート」を各従業員の責任で管理させ、外勤営業職員には業務のために社外に持ち出すことも認めていた。

(3)  就業規則

債権者は、就業規則において、従業員の秘密保持義務を定めるとともに、不正方法による会社保有物品の持ち出し、及び業務上の機密の漏洩を懲戒解雇事由としている。

(4)  「販売倫理要項」

債権者は、全従業員を対象とする「販売倫理要項」を定め、顧客のプライバシーを尊重し、顧客情報の利用に十分配慮すべきものと定めている。この販売倫理要項は、「販売の心得」と題する小冊子に収録され、債権者会社内に配付されている。

7  (営業秘密目録(一)ないし(七)記載の顧客に関する情報について)

(1)  同目録(一)について

I統括部長は、平成四年八月ころ、当時一定期間来店していなかった顧客を、顧客情報データベースから検索したうえ、その氏名、カナ表記、住所、電話番号、勤務先、最終来店日等の情報を出力・印刷して、「非来店者顧客一覧表」と題する顧客名簿を作成し、これをA及びDに手渡して、これらの非来店顧客を対象とする来店促進活動のために使用するよう指示した。別紙営業秘密目録(一)は、右と同一の検索条件で、債権者の顧客情報データベースを検索したうえ、該当顧客名のみを出力・印刷したものであるから、A及びDは、債権者在職中、債権者から、営業秘密目録(一)に氏名が記載されている者の氏名、住所、電話番号、勤務先、最終来店日等の顧客情報を開示されていたものである。

(2)  同目録(二)ないし(七)について

A及びDは、債権者在職中、営業部門のカウンセラーとして、自分が勧誘を担当した相談者については「反響問合せ記入用紙」に、また契約を担当した顧客については「注文申込書」「カルテ」及び「仕様書」にそれぞれ必要事項を記入したうえ、債権者会社に提出していた。

また、B、E、F及びGは、債権者在職中、技術職員として、各自の担当顧客に対する技術提供業務に従事するにあたり、「カルテ」を利用するとともに、スペア契約の場合には「注文申込書」「カルテ」及び「仕様書」を記入作成し、サービス提供の場合には「売上伝票」を作成し、これらを会社に提出していた。

債権者は、こうして提出された各種書類にもとづき、コンピュータの相談者情報データベース及び顧客情報データベースへの入力を行っていた。

別紙営業秘密目録(二)ないし(七)は、債権者の相談者情報データベース及び顧客情報データベースから、それぞれ、A、D、B、E、F及びGの名が営業担当者又は技術担当者としてデータベース上に記録されている顧客名を検索したうえ、各人別に出力・印刷したものである。

8  (債務者の営業活動)

(1)  債務者は、平成五年八月一日の営業開始以前である同年七月末から八月にかけて、別紙各営業秘密目録記載の債権者顧客に対し、債務者の営業開始の挨拶状、写真入りチラシ、名刺等を同封したダイレクトメールを郵送した。

(2)  債務者の従業員は、電話や直接訪問により、債務者店舗に来店・契約するよう勧誘活動を行った。

(3)  債務者は、平成五年一一月から一二月にかけて、再び債権者の顧客に対し、債務者会社のチラシ等をダイレクトメールで郵送した。これら債務者からの営業活動を受けた債権者顧客は、いずれも別紙営業秘密目録(一)ないし(七)にその名が記載さている者である。

第四(本件仮処分命令発令の経緯)

1  債権者は、「元債権者会社の従業員らが、債権者と同様カツラその他毛髪に関する製品の販売等の事業を行う債務者会社を設立し、営業を行っているところ、①債務者の営業表示である標章が債権者のそれと誤認混同を引き起こし、債権者に営業上の利益侵害を与えているとして、不正競争防止法一条一項二号に基づく債務者標章の使用の差し止めと、②債務者会社の取締役及び従業員がかって債権者会社に在職中債権者の顧客情報を開示されたにもかかわらず、これを不正競業等の不正図利目的及び債権者加害目的をもって自らの営業活動のために使用し、債権者の営業上の利益を侵害しているとして、同法一条三項四ないし六号に基づく顧客情報を利用してのこれらの顧客との取引及び接触等の停止及び予防」を求め、平成五年一二月二二日、本件仮処分命令を申し立てた。

2  債務者は、債権者の主張を全面的に争ったが、札幌地方裁判所は、審理の結果、平成六年二月二三日、本件仮処分命令を発した。

第五(債務者の主張)

これに対し、債務者は、(1)本件標章は、債権者標章と類似性はなく、誤認混同を生じさせるおそれはない。(2)別紙営業秘密目録(一)ないし(七)は「秘密トシテ管理セラルル」ものに該当しない。(3)債務者には、不正競争防止法一条三項四号にいう「不正利益を図る行為や損害を加える目的」はない。(4)保全の必要性がない。と主張して、平成六年二月二八日、本件仮処分の取消し及びその申立ての却下を求めて、本件異議を申し立てた。

第六主要な争点

本件の争点は、(1)本件標章が、債権者標章と類似するか否か、顧客らに誤認混同を生じさせるおそれがあるか否か。(2)債権者の保有する顧客情報が秘密として管理せられていたか否か、(3)債権者保有の顧客情報が、債務者関係者七名に開示されたといえるか否か。(4)債務者に図利・加害目的があるといえるか否か。(5)仮に被保全権利が認められるとしても本件仮処分命令発令の必要性があるか否かである。

第七争点に対する判断

一  不正競争防止法一条一項二号に基づく差止め請求について

争点(1)について

1  前述のように、第三1(当事者)、2(債権者の営業表示)、3(債務者の営業表示とその使用)の事実については、一応疎明がある。

2  右事実によれば、以下のとおり、本件標章と債権者標章とは類似するといえる。

(1) 債権者標章は、「アート」と「ネイチャー」という英単語から構成されており、それぞれ、「工芸品、人工(物)」「自然(物)」の意味を持つ。一方、本件標章は、「A」「&」「ネイチャー」の三つの部分からなり、「&」は接続詞であるので、結局「A」と「ネイチャー」の組み合わせを意味する標章として認識される。そして、「アート」が、英語では「ART」と綴られ、かつ、債権者標章が既に周知性を得ていることからすれば、「A」をアートと認識される蓋然性は非常に高いものがあると認められる。したがって、両標章は、観念において類似するものということができる。

(2) 本件標章は、「えーあんどねいちゃー」と呼称される。一方、債権者標章は、「あーとねいちゃー」と発音される

両者を日本語の特徴である平板なアクセントでゆっくりと発音すれば、かれこれの区別はつく。しかし、両者は、いずれも、英語であって、英語に特有のアクセントをつけると、「えー」「あー」と第一音の後は長音であり、しかも、「ねいちゃー」は同一であるので、前半にアクセントを置く場合も類似してくるし、特に後半である「ねいちゃー」の方にアクセントを置いて、発音するような場合は、「えーあんど」「あーと」の部分のアクセントは弱くなり、「ねいちゃー」の部分が強調されることとなって類似性が高まり、結局、両者は呼称において類似することとなる。

(3) 本件標章と債権者標章の二とは、最初の文字が「A」と同一であり、後半部分が「ネイチャー」と同一であるので、一見してその類似性が認められる。

3  誤認混同について

(1) 一件記録によれば、次の事実が認められる

債務者は、平成五年八月一日以来、本件標章を使用して、債務者店舗において、債権者と同種の営業を行い、債権者顧客に対し、本件標章を営業表示として印刷した開業挨拶状、チラシ、名刺、店舗案内図等をダイレクトメールによって郵送しており、また、電話を利用したり、直接訪問したりする勧誘行為を行っているが、その際は、債務者店舗の名称を「えーあんどねいちゃー」と呼んでいる。

債務者のこの営業活動により、多くの債権者顧客が、債務者店舗を債権者の営業所が新設されたものと勘違いし、債権者の店舗に来店するつもりで誤って債務者店舗を訪れている。

(2) 右事実によれば、債務者の本件標章の利用により、債務者店舗の営業主体が債権者であるとの誤認混同が生じているものということができる。

4  このように、本件標章は、債権者の営業表示である債権者標章と類似し、これにより債権者の顧客らに債務者の営業活動の主体に関する誤認混同を引き起こしているものといえる。

二  不正競争防止法一条三項四号に基づく営業秘密に係わる不正行為の停止又は予防請求について

1  争点(2)について

(1) 前述のように、第三4(債権者保有の顧客情報)、5(債権者における顧客情報の収集と記録)、6(債権者の顧客情報の秘密管理)の事実については、一応疎明がある

(2) 財産的情報に関する不正行為は、「秘密として管理」している他人の情報を不正な手段により取得し、競争上有利な立場に立とうとする行為であるが、このような不正な手段が必要となるのは、「秘密として管理」されているからにほかならない。

したがって、客観的に秘密として管理されていない情報はその情報にアクセスする人間に自由に使用・開示できる情報という認識を抱かせる蓋然性が高いため、秘密として管理していない情報までも保護することは情報取引の安定性を阻害することとなる。

(3) 「秘密として管理している」状況については、具体的状況に照らして判断すべきであるが、①当該情報にアクセスできる者を制限していること、②当該情報にアクセスした者に対し、権限なしに使用・開示してはならない旨の義務が課されていること、③当該情報にアクセスした者に、当該情報が財産的情報であることを認識できるようにしていることがその判断基準となる。

(4) ところで、前述のとおり6(債権者の顧客情報の秘密管理)として認定された事実のほか、一件記録によれば、次の事実も認められる。

① 債権者における顧客情報の秘密保持の一般的重要性

債権者の相談者及び顧客は、一般的に、債権者との関係が他人に知られることを非常に恐れており、家族にすらも秘密にしている例もあり、債権者においては、顧客情報を秘密として保持することが営業活動を行う上での大前提となっており、債権者のパンフレットのなかでは、顧客の秘密厳守が強調されている。

したがって、債権者従業員らの間では、顧客情報が秘密として管理されるべきことが当然のこととされていた。

② 顧客情報及び相談者情報データベースの管理

債権者は、相談者及び契約顧客の情報を、全て本社六階の統括部長Iの個室に置かれているオフィス・コンピュータに入力し、データベースとして統一的に管理しており、この入力作業を専門の女性職員一名のみに担当させ、この職員とI統括部長以外には一切当該コンピュータを取り扱わせず、本件顧客情報データベースを呼び出すためのアクセス・コードを右担当職員とI統括部長にしか知らせず、かつ、入力担当職員とI統括部長がともに不在のときには統括部長室の入口ドアを施錠するものとするなど、社外の者はもちろん、債権者の従業員によるアクセスをも不可能としていた。

③ 顧客名簿の管理

使用責任者であった元管理職員のAは、I統括部長の指示に従い、顧客名簿を、事務室内の自分用の机の引き出しに入れるなどして保管していた。

④ 顧客ノートの管理

債権者は、従業員に対し、「顧客ノート」の無断複製や業務外使用を固く禁止し、退職時には、「顧客ノート」その他一切の資料を会社に返還させてきた。

⑤ 店長会議

債権者では、毎月一回、全支店の管理職を集めて「店長会議」という会合を開催しているが、この店長会議において、H社長、I統括部長らは、日常的に、顧客情報の管理に注意して顧客の秘密が外部に漏れることがないよう指示していた。

(5) 以上の事実によれば、債権者は、その顧客情報について、①アクセスできる者を制限しており、②顧客情報にアクセスした者に対し、権限なしに使用・開示してはならない旨の義務を課しており、③顧客情報にアクセスした者に、当該情報が財産的情報であることを認識できるようにしていたということができ、秘密として管理していたというべきである。

(6) なお、この点につき、債務者は、顧客情報そのものとその情報を記録している媒体とを判然と区別していない節が見受けられ、「債権者の営業担当者はコンピュータから打ち出された名簿のコピーを持ち歩き営業活動を行っていたが、平成五年七月末の時点では、右名簿コピーの管理はずさん極まりなく、営業担当者が自宅に持ち帰ってそのままにしておいても、会社内に大量に散乱しているものをそのままゴミ処理に廻しても、債権者からはなんら注意がなされていなかった。」と主張して、顧客情報の秘密管理の点を争っている。

本件においては、債務者主張の右事実を認めるに足りる疎明は不十分であるが、仮に、そのような事実が認められるとすると、右③の要件が問題とされることとなるが、「顧客情報」そのものは、「顧客情報及び相談者情報データベース」で管理し、特定の従業員以外のアクセスを禁止しており、このことが債権者の従業員に周知徹底されていることが認められる以上、債務者主張の事実のみをもって、右③の要件が欠如しているということはできない。

2  争点(3)について

(1) 前述のように、第三7(営業秘密目録(一)ないし(七)記載の顧客に関する情報について)の事実については、一応疎明がある。

(2) 債務者は、営業秘密目録(二)ないし(七)記載の顧客に関する情報につき、債権者主張の従業員は、在職中、債権者会社の職務として、債権者主張の作業を行っていたが、その主張にかかる顧客の全てについて認識したり、記憶していたものではなく、そのような状態を「開示」といえるかどうかという点について争うと主張する。

ところで、一般的には、秘密として管理されている顧客情報は、当該会社の従業員が集客活動を行って積み重ねられるものであり、そのいちいちを右従業員が記憶していることはありえない。しかし、当該従業員の集客活動により得られた顧客情報は、右従業員を通して、顧客情報として会社に蓄積されるものであり、一旦そのように秘密情報として会社において管理された以上、右顧客情報は、当該従業員に対し、「開示」されたものと解すべきである。

したがって、債務者の本件主張は、採用しない。

3  争点(4)について

(1) 不正競争防止法一条三項四号にいう「不正競業その他の不正の利益を図る行為」とは、営業秘密を示した保有者との間で当該営業秘密をみだりに使用・開示してはならない信義則上の義務が存在する場合において、この義務に反することを意味する。

そして、この信義則上の義務は、主に雇用契約・下請契約・ライセンス契約等の債権関係に基づく義務から発生する。

退職した従業員が開示された営業秘密について何らかの義務を負うか否かは、議論のあるところではあるが、雇用等の債権関係にあった者は、その契約終了後においても、契約相手が契約関係にあったがために不当に不利益を被らないようにしてやる義務があるのであり、一定の義務が認められる場合もありうるが、この場合は、債務者も主張するとおり、退職者の競業行為については、私法上の紛争解決方法が既に存在していることもあり、不正競争防止法による差止めが認められるのは、退職者側に「著しい」信義則違反があった場合に限定すべきである。

(2) そこで、本件につき、債務者に「著しい」信義則違反があったか否かを検討する。

一件記録によれば、次の事実が一応疎明される。

① 債務者の商業登記簿上の営業目的は、債権者のそれとその順序までもが全く同一である。

② 債務者の営業所は、札幌市以外に置かれているわけではなく、同じく札幌市中央区である。

③ 債務者は、前記認定のとおり、債権者の標章と類似する本件標章を使用している。

④ D、E、F及びGは、債権者在職中、債権者に無断で、債務者会社の設立に関与し懲戒解雇された。

このとき、右四名は、業務上知りえた秘密を一切使用しないとの誓約書を提出している。

⑤ 債務者は、債権者の保有する営業秘密である顧客情報が記録されている顧客ノート、非来店者顧客一覧表、カルテを持ち出し、この顧客情報を利用して、約二〇〇〇名の顧客に対し、ダイレクトメールを送付した。

⑥ 債務者は、債務者の開店にあたり、債権者の新店舗・支店が開設されたかのような言動を行っているほか、債権者製品の品質につき中傷をしている。

⑦ 債権者が顧客から預かり保管中のカツラや債権者所有の製品及び道具類を持ち出した。

以上の事実を合わせ考慮すれば、債務者関係者七名のひいては債務者の債権者に対する信義則違反は、著しいものがあり、債務者の営業はまさに「不正」競業であるというべきである。

4  争点(5)について

(1) 債務者は、本件標章の使用差止めにつき、債務者は、本件仮処分命令が発令された後については、電話帳の記載を除き、本件標章の使用を取り止めているので、保全の必要性はない旨主張する。

確かに、債務者提出の疎明資料によれば、債務者会社の店舗の窓ガラス、入居しているビル一階の郵便受け及び入居表示板に使用されている各本件標章が抹消されていることは、一応疎明されるが、一件記録によれば、債務者のこのような抹消行為は、債権者の強い警告によりようやく実現したものであり、しかも、一件記録において、債務者が、これ以外の本件標章の使用を取り止めていることを認めるに足りる疎明がないので、したがって、この点に関する債務者の主張は、未だ採用できない。

(2) 債務者は、本件仮処分命令の第二及び第三項について、①命令書添付の目録等は、仮処分により執行官保管の状態となって、債務者の手元にはないので、その人名を特定することは今となっては困難であり、②右目録には、住所や電話番号等の相手と接触する手掛かりとなる記載がなく、右目録を利用して仮処分命令の禁止行為を行うことは不可能であり、いずれにせよ保全の必要性を欠く旨主張する。

(3) 前記認定のとおり、債務者は、不正競業という図利・加害目的をもって、債権者から開示された営業秘密である顧客情報を使用していることが認められる以上、不正競争防止法一条三項四号に基づく営業秘密に係わる不正行為の停止又は予防請求について、保全する必要性は十分に認められる。

(4) なお、一件記録(甲四六号証)によれば、債権者から本件仮処分命令の写しを送られたJに対し、平成六年三月一八日ころ、債務者のFから「債務者は現在も営業しているので、寄って欲しい。」旨の電話があったことが認められる。

右事実によれば、未だに債務者は、執行官によって保管されている名簿類以外の名簿を保有しており、それには、本件仮処分命令添付の別紙営業秘密目録(一)ないし(七)に記載されている顧客の情報が記載されていることは容易に推認されるところであり、債務者のこの点に関する主張はその理由がない。

三  本件仮処分命令の主文に関する訂正について

本件において、債権者は、債務者に対し、別紙営業秘密目録(一)ないし(七)に記載のある顧客情報を利用してのこれら顧客との取引及び接触等の停止及び予防を求めているものであり、「右目録を利用して」という意味の真意は、「右目録に記載されている情報を利用して」ということに他ならない。このように主文を訂正することにより、債務者関係者七名が、「右目録」によらず、自己の記憶に基づいて、顧客との取引及び接触を図ることも本件仮処分により禁止されることとなる。

第八結論

以上のとおりであって、債権者の本件仮処分申立ては、その被保全権利の疎明があり、かつ、その必要性が認められ、債務者の主張はこれを採用することができないので、本件仮処分命令を認可することとし、訴訟費用の負担につき民事保全法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 末永進)

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